忍者ブログ
長続きを目指す感想だとかの書き込み日記です。20080219に作成。
[73] [72] [71] [70] [69] [68] [67] [66] [64] [63] [62
Posted by - 2024.05.14,Tue
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

Posted by セージ - 2010.06.22,Tue

朝の散歩の帰り道、某コンビニエンスストアで見つけた本。
……今の自分には大変胸に刺さるタイトルだったので、思わず買ってしまった。
結構良いページ数と装丁だったのに、お値段はワンコイン500円。
タイトル的に取り上げるかどうかはちょっと悩ましかったんだけど、
最近これという小説も読んでないし、一応、学ばせて貰った恩義もある本なので。
テーマをぶれさせない為なのか、この方自身の論説なのか、
終始、家庭環境のみに理由があるとしている部分については、正直なところ疑問が残った。
ただ、内容自体には納得の行く部分も多くあったし、
結論的にはこれで500円ならかなりお得だったんじゃないだろうか、という感じ。
他の本と組み合わせて学んで行く内の一つとして取り込むには良いかもしれない。
内容自体、かなり限定的なテーマだし。


「私たち」という概念。
「私たち」は、「私」と「私」が寄り合っていること。1+1、時によっては2。
集団というこの概念、私にとってはこう捉えるのが自然なものだった。
自分とは違う人格の相手を、まったく同じ枠の中に居るように錯覚することには抵抗があるし、
こうした気持ちが依存心に変化してしまうこともまた、非常に怖くもある。
ただ、人を傷付けることや癒すことの差は、この「私たち」という連帯感の捉え方にあるような気がする。

誰かに前向きな期待を抱くことや、肯定すること。
好意は、相手と関わることへの期待から生まれてくるものだと思う。
好意を抱くということは、要するに相手の個性に価値を見出すことで、
その価値を見失ったり、リスクが価値を上回った時にはそっと薄れていくものでもある。
人と繋がり合う最初の切っ掛けには、期待という好意がある。
その上で、依存と愛情の違いは何処にあるのだろうな、ということを、割りとよく考えたりする。
仕事柄でもあるし、私自身の性格上の問題でもあるんだろう。
恋愛の傾向にはエロスやマニア、ストロゲーやルーダスなどと言った複数のタイプがあるというし、
相性の良い相手同士のカップルが、かなり線を割り込んだ関係であっても
仲睦まじく居たりする様子も見るに……尚のこと、こういうのは一概では無いのだろうけど。
ただ、人を傷つける連帯感の根元は要求にあり、人を癒す連帯感の根元は許しにある。
この辺りが多分、依存と愛情を割る要素の一つになるんじゃないだろうか。

本の中に、健康的な摩擦、というキーワードがあった。
お互いの主張が不意にぶつかった時、それを正直にぶつけ合うこと。自己主張の際。
「私たち」と「私と私」の差は曖昧なようであって、こういう時に大きく影響を分けてくる。
これが「私と私」の関係であれば、「私」と「私」は個人に戻る。
だから摩擦が起きた途端に、意見の違いが相手からの攻撃なのだと感じられるようになる。
言葉を戦わせることが、相手と利益を取り合う対立に思えるのだから、
その闘争には当然負けたくない。負ければ傷が付くし、摩擦自体が自己否定のように見えてくる。
一方で、この間柄を「私たち」というものに捉えているとすれば。
相手に深く傷つけられる必要も、傷付ける必要も、おそらく頭の中には出てこない。
「私たち」は同じ領土に属しているのだから、たとえ摩擦が起きたところで、
自分が傷付くことは相手にとっての不利益になると信じられるし、
事実、相手が傷付くことも自分にとっての痛手になる。
(相手に嫌われるのが不快だ、という利害ではなく)
意見を違えることが痛みにならない、傷を作る必要性を感じないぶつかり合い。これが健康的な摩擦。
集団としてどちらの繋がりが強いかと言えば、やっぱりそれは後者の関係性だ。

人に期待を持たない、という心の動きは不自然なものになる。
逆に、自分に期待を持っていない相手に愛着を持つことも好意を持つことも、難しい。
だから期待は悪いことではないし、人間関係には寧ろ必要なものなんだと感じる。
ただ、本書で言われていることは、自信を育てる上での出発点……というより、
もっと正確に言えば、強い自信を必要としないコミュニケーション、ということになるんだろう。
自分が正直になるのを許すこと、相手の正直さを同じように許すこと。
こう居られるのなら確かに、初めから自信なんて失いようがない気がしてくる。

課題は寧ろ増えたような心地ではあるけど、最近を振り返って納得することも多かったし、
お陰で、自分の少しずつ治していかないといけない部分も多少自覚させて貰えた本だった。
ぶっちゃければまだまだ怖いし、覗くには大層苦痛が伴う部分ではある。
ただ、知識は薬だなと感じるし、人と関わることも、やっぱり毒より薬になることが多いはずなので。
ちょっとずつまた、変えていければいいなと思う。こういう部分。

PR
Comments
Post a Comment
Name :
Title :
E-mail :
URL :
Comments :
Pass :   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
カレンダー
04 2024/05 06
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
フリーエリア
最新コメント
[03/07 セージ]
最新記事
最新トラックバック
プロフィール
HN:
セージ
性別:
非公開
ブログ内検索
アクセス解析
フリーエリア
Template by mavericyard*
Powered by "Samurai Factory"
忍者ブログ [PR]